AceWeekなので、アロマンティックのお話

30歳でアロマンティックを自認するまでの振り返り
Blake店主 2022.10.29
誰でも

 すごく久しぶりの更新なのに食物アレルギーもヴィーガンもお菓子も関係ない話。

 10/23〜29はAceWeek(2010から始まった、アセクシャルの認知向上活動)だった。

 私も『アロマンティック』という広い意味での(広〜い意味での)アセクシャルの1人なので、このAce Weekに滑り込みで参加しようと思う。

 私は30歳でアロマンティックを自認した。

 それまでは自分をヘテロ(異性愛者)だと思っていた。

 小中学生の頃は漫画やアニメを好んでよく観ていた。

 作中の異性愛描写に違和感や嫌悪感はなく、年頃になったら自分も異性とそういうことになるんだろうと自然と思っていた。

 幼い頃からクィアなキャラクターが好きで、セーラームーンなら太陽系戦士よりも外部系戦士たちが好きだった。はるかさんとみちるさんは勿論、ギャラクシアに操られていた3人組(人間の姿は男性体だけど変身するとスレンダーな女性体の戦士になり、ショートパンツにへそ出しコスチュームになる)は特に好きだった。だが自身に同性愛の気配はなく、二次元の男性キャラクター相手に「理想の彼氏は◯◯」「結婚するなら△△」などと友人達と話していた。(ちなみに今でもその理想は胸にある。何回か生まれ変わった先で二次元のキャラクターとしてシスヘテロ女性に生まれて、意中のキャラクターと結ばれたい。私自身はたとえ相手が二次元のキャラクターでも恋愛で他人と結ばれたくないが、シスヘテロなら嬉しいことだと思うので、異性愛者としてそういう嬉しさを味わってみたいと素直に思う。いつかの来世の楽しみのために徳を積んで生きている。)

 高校生の頃、男友達に他の友人よりちょっとだけ親切にされたり、「なんとなくこの人は私に(恋愛感情の)好意を持ってるんだろうな」と思うことがあったり、告白されたりした。でも「異性に選ばれた」という、おそらく異性愛規範に則っている優越感や安心感以上の感覚はなかった。

 それよりも相手のことを見下すような軽蔑するような感情を抱き、戸惑っていた。さっきまで仲の良い好きな友人の1人だったのに、急にくだらなくて得体の知れない気持ち悪い存在のように感じて、(相手は何も悪くないことが今ならわかるが)「友情を汚された」「友達だと思ってたのに裏切られて騙された」という怒りや悲しみのような感情も抱いていた。自分が最低なのか、相手が最低なのかわからず悩んだ。今ならどっちも最低ではないとわかるが、当時はわからなかった。

 当時は自分を「私は友人とは付き合えないタイプなんだな」と解釈していた。

 私が自分から好きになる相手は男性だったが、その好意が恋愛感情だったかはわからない。相手は大抵「私になんの興味も関心も抱かなそうな人」「私がどれだけ(友情の)好意を表現しても恋愛感情だと誤解しない男友達」で、私の好きなタイプは「私が相手に恋愛感情を抱いていると誤解しない人で、私に絶対に恋愛感情を向けない人」だった。

 たぶん私は、自分に向けられる恋愛感情としての好意と性加害的な眼差しの区別がつかず、恋愛感情の好意を向けられると性加害のターゲットにされたような気持ちになるんだと思う。それくらい、私のとって恋愛の好意は怖くて屈辱的なものなので、友人に向けられると本当に悲しい。ちなみに他人の恋愛は性加害願望と違うとわかるし、恋バナは普通に好き。

 当時『アロマンティック』という性的指向を知らなかった私は、自分を非常に淡白な異性愛者だと思っていた。恋愛感情を向けられたくないのに、いつか恋愛で誰かと結ばれると信じて疑っていなかった。だって漫画でもアニメでもドラマでも映画でも小説でもみんなそうなってるから、当然自分もそうなると思っていた。

 大学生の頃、「男性に恋愛感情を向けられたくないということは、自分は男性より女性が好きなのかも?女性と付き合える?セックスできる?」と思いつき、同性愛の可能性について本気出して考えてみた時期がある。結果は「否」だった。私は女性からのアプローチを受けたことがないので想像の範囲だが、私が恋愛感情を向けられて嫌悪感を抱くことに男女の性差はないと判断した。もし女友達からアプローチされたら?と想像しても、男友達相手の時と変わらなかった。

「悲しい。私が相手を振るかたちだが、私の相手への好意(友情)が振られたようなもので、自分の友情が失恋したような気持ち。友人に対して、なんでそんな酷いこと言うんだと傷付くけど、そんなこと絶対に言えない。恋愛感情や失恋はみんなに共感されるけど、きっと自分の感覚は共感されない。疎外感ともどかしさも感じる。寂しくて、悲しい」

 私は男性より女性と関わる方が安心できるし、解放感がある。嬉しい!楽しい!!大好き!!!を遠慮せず表現できる。それは女性相手だと男性相手より好意の種類の誤解やすれ違いが起こりにくいからだと思う。

 当時の私にとって女友達は、どれだけスキンシップしても「好き」と伝えても恋愛だと誤解されない『安心安全な相手』だった。これは今思えば同性愛者や両性愛者の女性に対する直球の偏見と差別なので猛省しているが、女性相手でも男性と同じリスクがあるとしたら、当時の私はどうしていいかわからなかったと思う。

 社会人になった。恋愛とは無縁だったが、一通りのセクハラは経験した。

 いわゆる結婚妊娠出産の適齢期になって焦りはじめたが、それでも婚活をする気になれなかった。そして「なぜ私は恋愛や結婚のためにみんながしている当然の努力が出来ないのか?」と悩み始めた。

 みんな身近に恋人作ったり、身綺麗にして合コンに行ったり、婚活にいそしんだり、選び選ばれるために行動しているのに。学生時代の友人たちは次々に結婚し、オタク友達も続々と婚活をしているのに。私だって焦りや不安はあるのに。なぜ私は行動しないんだろう?なぜ私はこんなに恋愛や結婚のために動けないんだろう?と不安を抱くようになった。不安が明後日な方向に向かいはじめ、とにかく行動した気になりたくてマッチングコミュニティに登録した。ここで自認のきっかけを得ることになる。

後半、アロマンティック自認編に続く

無料で「Until the sweets are baked」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
AceWeekなのでアロマンティックのお話2