アロマンティックなだけじゃない私
めちゃくちゃ久しぶりに、アロマンティックな自分について書こうと思った。何気に毎年いろいろ考えたり書き留めたりしていたつもりだったけど、2022年に投稿したっきり何も書いていなかった。パレスチナでのイスラエル軍による70年以上にわたる占領や大量虐殺を知り、そこから世界や日本が繰り返してきたいろんな占領と支配の歴史を改めて考えるようになった。アロマンティックな自分よりも、元侵略国の子孫としての自分や植民地支配や大量虐殺の加害国の市民としての自分について考える時間が多かったこと、何よりアロマンティックであることが自分にとって特別に意識して向き合ったり言語化するようなことではなくなったことが理由だと思う。
とはいえ私は30年間をヘテロ(異性愛者)として生きて、30歳からアロマンティックとして生きはじめたアロマンティック5歳(もうすぐ6歳)なので、日常で感じた自分の変化や思いを記録として残しておこう。本当は『アロマンティックであることが自分にとって特別意識して向き合ったり言語化するようなことではなくなった』経緯も思い出して書けたらいいなと思う。いつかね。
今日は、最近なんとなく緑色が好きじゃなくなった話。
性的マイノリティを象徴するフラッグといえば6色のレインボーフラッグだけど、性自認や性的指向ごとに象徴となるフラッグがあり、イメージカラーというか、フラッグを彩る色がある。アロマンティックのフラッグは緑色、グレー、白色、黒色で構成されている。だからアロマンティックに関するSNSの投稿や啓発グッズなんかは、緑色のものが多い。でもなんか、私はアロマンティックだからと緑色を与えられたくない。それは女の子だからとピンクやフリルを与えられること、赤いランドセルやスカートの制服を強制されることと同じで属性と特定の色を結びつけて他者をその属性に押し込める行為に似ている気がする。
私はアロマンティックという属性だけで生きていないし、属性と好みは必ずしも結びつかない。私はシス女性でいわゆる女物の装飾品を好むが赤やピンクは好まないし、日本国籍持ちだけど日の丸は嫌い。何も変なことじゃないはず。
「あなたの為に作ったよ。これはあなた用だよ。あなたはアロマンティックだからね」と緑色の物を渡されることに、何とも言えない違和感と嫌悪感を抱く。
私はただアロマンティックなだけの人間ではないし、その場にアロマンティック当事者としてのみ存在しているわけではない。多くのマジョリティがそうなように、ある属性の当事者としてのみ他者と会うことなんてほとんどない(マイノリティはしばしば、無礼で馬鹿なマジョリティ達にマイノリティ属性代表としての意見や存在を求められるけどね)。私は私でしかなく、アロマンティック当事者代表でもなければ、私にはアロマンティックであること以外にも多くの属性やアイデンティティがある。何より他の多くの人と同じように私の好みや意志は必ずしも属性らしさやアイデンティティカラーと共通しない。属性で縛られたり、「あなたはこの属性だから、この色を用意したよ」とたかがフラッグカラーを他人に押し付けられることは非常に窮屈で息苦しい。まるで私個人など存在せず、ただ属性のみが主体となって存在するような、私の好みや意志など意味も価値もなく、属性を示す目印を身に付けることを『あなたのアイデンティティを尊重しているよ』『あなたのカラー(らしさ)はコレだよね』と善意で勧められるとなんとも言えない虚無感で心と頭がボーッとする。相手が悪意も悪気もなく善意でやってると輪をかけてキツい。せめて悪意や嫌味であってくれれば話は早いのに。善意で傷付くことを0から説明するのって、疲れるからしたくない。相手に申し訳ないとかではなく、相手の善意でしんどくなってる私がさらにしんどい思いをしてしんどい理由を説明しなきゃいけないのがしんどい。下手したら私がせっかくの相手の善意を踏みにじって心優しい人を傷付けるような構図になる可能性があるのも、もう想像するだけで丸一日寝込めるレベルでしんどい。実際に寝込んだ。
アロマンティック当事者は、全員がもれなく緑色が大好きなんだろうか?ホンモノのアロマンティック当事者は、緑色を与えられたら無条件に喜ぶのだろうか?正真正銘のアロマンティック当事者なら、緑色に何物にも変え難い己のアイデンティティを見い出し、喜びと共に身に纏うのだろうか?それが他者から他の選択肢を一切排除され手渡された唯一の色だとしても?なら私はニセモノのアロマンティック当事者だ。今の私は緑色が好きではない。女の子だった頃に『これを選ばなければ大人がヘンな顔をする。これを好まない自分は女の子の失敗作なんだ』と学習させられたピンクやフリルを思い出す。善意で「ゆうさんの分もありますよ〜。はい!ゆうさんはコレ!」と数ある私の属性のひとつでしかないアロマンティックという側面のイメージカラーを用意された出来事を思い出す。
私はアロマンティックだ。同時に女性であり、日本人であり、年齢は30代で、個人事業主だ。毎日メイクをしてスカートとヒール靴をはくべきだろうか。日本国旗に敬礼し国歌を歌うべきだろうか。年相応に貯蓄や結婚について焦るべきだろうか。個人事業主らしさとは……コーヒー片手にノマドになるとか?
私はメイクもスカートもヒールも嫌いではないが、身に付けたいと思う時にしか身に纏わない。日本国旗も国歌も燃やしたいほど嫌い。貯蓄はほしいが現状の家制度やパートナーシップ規範には懐疑的だ。個人事業主としてはもう少し頑張りたいなと思っているけど、アロマンティックとしての私は、緑色が嫌いだ。個性を無視され属性の規範を押し付けられたような気分になるから、緑色が嫌いになった。それまではそれなりに愛着を抱き始めていたし、相手にその気がないことは百も承知だが、他者からアイデンティティのイメージカラーとして押し付けられたことで逆にアイデンティティの主体性を奪われたように感じた。そして緑色を身につけると相手の思い通りになったような、規範に押し込まれることを受け入れたような気持ちになるから、緑色に反発している、というのが正しい状態だと思う。
いつか自分のなかで緑色が『なんでもない色』になったら、緑色のことが好きでも嫌いでもなくなるだろうか。きっといずれそうなると思う。でもそれまでは、私は緑色が好きじゃないアロマンティックだ。
次に何か投稿するときは、緑色について特に記録することはないくらい『なんでもない色』になっているといいなと思う。
おしまい。またね。
すでに登録済みの方は こちら