Ace Week(エース・ウィーク)なのでアロマンティックの話2026
毎年10月25〜31日はAce Week(エース・ウィーク)といって、アロマンティックとそのスペクトラム当事者の認知、理解、祝福の1週間らしいので、できるだけ毎年この時期はA当事者であることについて記録しようと思っている。
24時間365日がロマンティック・ディで、『生き物はみんな他者と恋愛や性的に満たし合いたいという欲求を持っている!生物の本能!恋とSEXしてなきゃヤバいって!LOVE is LOVE❤』と世界中が叫んでいるこのロマンティック至上主義社会で日々暮らしているので、私は今年も「ここにこんな当事者がおるぞ」と今の自分の状態を記録しておく。
初めて自分のAな側面について書いたときは、毎年の気づきや変化を書こうと本気で思っていた。でも世界情勢とか体調とか仕事とか生活とか色々あって、なかなか毎年は書けていない。あとは去年も書いたけど、最近はあまり自分のことを「私は!アロマンティックなんだ!!!」と意識しなくなったから、書こうと思うことが浮かばなかったのかも。Aであることが私にとって新鮮で特別なことではなく、普通で自然な状態になったんだと思う。
変化している過程にいる時は意外と自分ではその変化に気付かなくて、変化が終わったタイミングで「あれ?なんか前までと感じ方や考え方が変わったかも?いつからだっけ?覚えてないけどなんか前と認識が違うな」となる。今、私は変化がひと段落した頃合いなのかもしれない。
最初の記事では「30年間、自分のことを異性愛者だと思って生きてきた。価値観も視点も異性愛者仕様の自分が根深くあって、パーセンテージでいうと異性愛者とA当事者の意識は50%ずつくらい」というようなことを書いたと思うんだけど、今の私はほぼ100%自分のことをA当事者だと認識している。『自分のこと』というより『恋愛関係や性的なコミュニケーションがあり得ないのが、自分にとって自然で普通の状態』みたいな感じ。「恋愛関係?性的接触?いやいや😅💦私ソッチじゃないんで!」ってかんじ。(そちらとこちら、という表現はグラデーションを透明化してしまうし分断のような印象を受けるから良くないと思う人がいると思うけど、これは私の今の感覚を記録する文章なので敢えて今の自分が1番しっくりくる表現をそのまま使っていく。もちろん普段、人に対して「ソッチ」なんて言い方はしない)
周囲の人達がパートナーの話やいわゆる恋バナをはじめると「あ、そっか。この人は恋愛する人なんだ」「え、ソッチ(ロマンティック側の人)だったの?!」となるくらい、私にとって恋愛は遠くて不思議なものになった。他者との性的接触は15年に1回くらいの周期でしか興味が湧かない。人の恋愛の話を聞くのは普通に好き。たった数年で人間は随分変わるもんだなと思う。
今年は自分自身のAスペクトラムについてわかる範囲で書いておこうと思う。感情や衝動を抱く対象がいるか/いないか、対象に条件はあるか/ないか、その対象とどうなりたいか/なりたくないか。以前より詳細かつ具体的に書けそう。
まず私には、(疑似)恋愛感情のようなものがある。その感情は昔は『私が男性だ(男性っぽい)と認識する人』が対象だったけど、最近はどちらかというと『私が女性だ(女性っぽい)と認識する人』の方が対象になりつつある気がする。恋愛っぽい好きは同性相手に抱くことが増えた。増えたというか、10代の頃から「好み!」「素敵!」といった感情や衝動の対象は圧倒的に同性が多かったけど、自分のことを異性愛者だと勘違いしていたからその感情を恋愛的な惹かれに近い感覚だと認識してなかったんだと思う。
恋愛感情を向けられることには、強烈な嫌悪感を抱く(2022年の記事に詳しく書いた)。それは相手を問わず変わらない。私が勝手に1人でドキドキしてキャーキャーしていたい。相手にパートナーがいても気にしない。だって私は絶対に相手から恋愛感情を向けられたくないから。芸能人とファンみたいな感覚に近いのかも。ここまで書いていて、「あれ?ファンに近いのなら(擬似)恋愛感情ではないのか?」と混乱し始めた。え、わかんない、一旦保留。来年以降、もう腹落ちしたら書くかもしれない。
とりあえず今の私は、『レズビアン寄りのバイで、リスロマンティック(男女どちらにも恋愛感情を抱くがその割合は同性に対するものが多く、ときめきは楽しいが両思いは求めていない)』なのではないかと思う。
次は性的欲求や関心の認識。
私は性的な描写がある創作物が大好きだし、性的な興奮をもよおすことがある。暇な時、疲れている時、ホルモンバランス的にそういう周期の時、一般的には「ムラムラする」感覚?私にとっては排泄行為に近い「もよおす」感覚が確かにある。
対象は、100%男性。どヘテロ。これは絶対。私はヘテロセクシャルです。そして恋愛感情と同様に、相手からは絶対に性的な関心を向けられたくないし、そういう目で見られたくない。ただ1人で処理するものって感じ。でも10〜15年に1回くらい「2人でしてみたい」と血迷うことがある。20歳くらいの頃と、ほんの数年前。だから次は50歳前後くらいに「人生で1度くらいは!」とまた血迷うんじゃないかという気がしている。焦りなのかもしれないし、好奇心かもしれない。自分でもなぜかわからないけど、そういう時期なんだなと思う。そういう時は不思議とちょうどよいタイミングでちょうどよい相手が見つかるもので(おそらく私自身がちゃんと相手を探して行動しているんだと思う)、逆に「普段の私は本当に恋愛や性的なコミュニケーションの相手を必要としていないんだな」と痛感する。
話を戻すと、今の私は『ヘテロでエーゴセクシャル(異性相手に性的な関心や興奮を抱くが、他者との性的な接触は求めていない)』だと思う。
ちなみに恋人はいらないけど、パートナーや家族のような人はいてほしいなと思うことがある。条件は『私に恋愛関係や性的接触を絶対に求めない、私がそういった目で見られることに嫌悪感を抱いていることを理解している男性表象』。寂しいな、人恋しいなと思う時、隣にいてほしいのはなぜかいつも男性表象。これがまだ私の中に根付いてる異性愛規範なのか、社会に適応したい心理なのか、自分の性的指向なのかはわからないし、わからなくていいと思ってる。そういう存在を求める期間は数ヶ月単位であったりなかったりする。ロマンティックな人達だって「恋人ほしい!」って時と「フリー楽しい〜!」って時があると思うから、それと同じなんじゃないかな。
今のところの私はこんな感じ。
自分のことをアロマンティックアセクシャルだと認識していて、それはわざわざ意識したり言葉にするまでもない普通で自然なことで、
人の恋バナには「あ、この人ソッチ系(恋愛感情や性的衝動を他者と満たし合いたい人)なんだ…」「そうだ、この人は恋愛が大丈夫な人だったっけ」と思いつつ楽しく耳を傾け、
自分自身は両思いとか性的接触は絶対に無理だし嫌悪感エグいけど、恋愛っぽい感覚や性的衝動はあって、そしてそれぞれ微妙に対象が異なり、
「パートナー?家族?のような人がいてくれたら」と「他人と生活や人生をシェアするとか私には1000年早い!無理!」を行ったり来たりしつつ、でももし…と考える時は大体相手のイメージは男性表象で、
15年に1回くらいの周期で「性行為ってやつを経験してみたいかも!」と血迷う。
そんなアロマンティック6歳(もうすぐ7歳)。
今はもう自分のことを『人としても女としても欠陥品の出来損ない』とは思わない。
6年目(もうすぐ7年目)にしては、なかなかなんじゃないかと思う。
私は人間としても女性としてもまだまだ未熟で、もっと知るべきことや果たすべき責任がたくさんあって、同時に過不足なく完成している、私という存在である。
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